正直に話しますが、カジノに関しては、私は実際(本物)のカジノしか体験がありません。
仕事でスリランカに3年ほど赴任させられた期間ですが、コロンボのインターコンチネンタルホテルのカジノで週末を楽しく過ごすことができました。
高級洋酒が飲み放題なので酒好きの私としては、あそこは天国だったのです。
カジノはたくさん種類が揃っていましたが、私が手を染めたのはブラックジャックとルーレットだけです。
ブラックジャックは相性が悪くって勝った試しがありませんでしたが、酔っぱらっていてもルーレットで稼ぐことはできました。
赤黒、または偶数奇数の一発勝負です。
勝つ秘訣は、ルーレットのディーラーが玉を放り込んだ直後、ノーモアベットのかけ声がかかりますが、かけ声と同時に貼っている場所を変更するのです。赤だったら黒に、偶数だったら奇数に変更します。
この手で大抵酔っぱらっていても収益をあげることができました。
世の中大変な様変わりですね。
自宅に居ながら、インターネットでカジノができる時代となりました。
本物のカジノとまったく同じように、お金を掛けてカジノが楽しめるのです。
ベストジャパンカジノ ではインターネットを利用して、様々なカジノゲームがまるで本物のカジノのように楽しめるオンラインカジノサイトを広く紹介しています。
サイトで調べたかぎりですが、今の世の中、オンラインカジノサイトで溢れています。
有名なものを列記すれば、インペリアルカジノ、ジパングクラブ、777Babyカジノ、パーティーカジノ、ジャックポットシティーなどがあります。
カジノは楽しいです。多分お金を掛けているからですね^^。
2018/12/20
ベストジャパンカジノ
2018/06/16
2018/06/15
ジパングカジノ
ここは、コロンボでもお金持ちの上流階級が集まる場所で、日本人といえども、ビーチサンダルや短パンなどの軽装では、入場を許されません。スラチャイはブラックジャックとルーレットをやりました。このカジノでは、高級スコッチウイスキーや高級ブランデーが飲み放題で、ついつい飲み過ぎることが多かったです。
ブラックジャックはディーラーの女性との一騎打ちが多かったのですが、セクシーなディーラーの胸元を眺めながら、ブランデーで盛り上がるころには、判断力も低下。勝った記憶がありません。やはり、私には、酔っぱらっていても、運だけで勝てるルーレットが向いていました。赤、黒あるいは偶数、奇数で一発勝負。 コツはノーモアベットのかけ声と同時に、掛ける場所を、掛けている位置の反対側へ移すのです。
この手で大抵勝ちました。でも、この手法は、かなりみっともないので、あまりお勧めはできません。そういうわけで、ブラックジャックとルーレットは大好きです。サイトで、カジノに出かけなくとも、ネットでカジノ遊びができるのを知り、驚かされました。
それは、ジパングカジノです。誰でも簡単に登録することができ、初回のお金を支払えば、それで、すぐに遊ぶことができます。うれしいのが初回入金に対するボーナスが100%です。ペイパルなどを利用すれば簡単に送金ができてしまいます。
http://fanblogs.jp/srachai2009/archive/2641/0
2018/06/08
あなたのサイトの売上が増進すること請け合いです
こんな悩みを抱えている人たちは次の方法をとることもできます。
SEO対策を自分でやるのではなくてその道のプロの専門家にお任せしてしまうことです。
サイトで評判のプロモーション・マーケティングサービスの会社があります。
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2018/06/05
オンラインカジノ
一か月に一度だけ休みがあり、マヒアンガナのジャングルを抜け出して、コロンボにお出かけして、疲れた体と心を癒しました。唯一のお楽しみがカジノ遊びです。コロンボ市内にはインターコンチネンタルホテルがあり、ホテル内で、合法でカジノ遊びができました。私はこのカジノ遊びにすっかりはまってしまいました。
人間には闘争本能というものがあります。カジノ遊びをするということは、闘争本能をむき出しにするということにほかなりません。 私が遊んだのはルーレットです。トランプを使ったブラックジャックなどもよくやりました。 いずれの場合もディーラーと一対一の駆け引きがたまらない魅力でした。インターコンチネンタルホテルのカジノには高級洋酒が飲み放題のサービスがついていました。お酒の大好きなわたしにとってそこはまるで天国でした。
あのときカジノで遊んだ経験がもととなって、日本でたくさんのオンラインカジノの原稿を書きました。どの原稿も著作権はわたしに属しています。まとめてブログにしましたので興味のある方はどうぞ読んでみてください。
オンラインカジノ
http://casino.blog.wox.cc/
2018/04/08
旅の終わりに
どんなに楽しい旅であっても、終りのない旅はない。
また、どんなに苦しい旅であっても、終りのない旅はない。
どんな旅であっても、終りはかならずやってくるのだ。
旅は人生の縮図であるともいえるし、
旅とは実は人生そのものだということもできる。
一昨日2011年5月1日、夜8時半にコンケン駅で列車に飛び乗った。
2等車の座席は満席だった。
しかたなくバンコク、ホアランポーン駅まで3等車の狭くて堅い座席で我慢した。
さらに、ディーゼル車の先頭車両だったので、音がものすごく、排気ガスが容赦なく目や喉(のど)を責めたてる。
列車は到着予定時刻の早朝5時より大幅に遅れて6時過ぎにホアランポーン駅に滑り込んだ。
9時間に及ぶ、拷問のようなつらい時間であった。
それでは、悪いことばかりだったのか。
答えはノーだ。
普段めったに交際できないタイ人家族と心も体も触れあう旅が楽しめた。
真向かいの体重80キロ超のおばさんは30歳くらい。
4~5歳の男の子を抱いている。
この堅い座席に座っているだけでも辛いのに子供を抱いているお母さんは柔和な表情をしている。
ときどき子供がむずかって、熟睡できないのか大声で泣きじゃぐる。
もしも白人の座席が近くにあれば間違いなくクレームをつけられるケースだ。
周囲のタイ人、全く動じない。動じているのは眠りを妨げられたスラチャイくらいのものだ。
満席状態で立ち席の人も多くいる。なんだか昔の日本の夜行列車の風景だ。
斜め前の20~30代の姉妹。なかなかの美形だ。
スラチャイが美人だなって見つめているとそれを見透かされたように笑顔を返してくる。
やがて妹のほうが眠りはじめて、姉の右肩に頭を埋めてこっくりしている。
こんなところでも美しい姉妹愛は人を感動させる。
もしもスラチャイが若くて独身だったら間違いなく話しかけているケースだ。
ずーっと向こうの席では、美しい20代の女性が大股開きでご開帳。
スラチャイが見て見ぬふりをして、そっと覗いていると、覗かれているのが分かるのか、閉じられてしまう。
こんな馬鹿なこと繰り返しているうちにも列車はひたすらバンコクを目指してがったんごっとん。
ご開帳のこの女性が突然目を覚ましてスラチャイと目があう。
赤くなって下を向いたのはスラチャイのほうであった。
横の30~40代のおばさん、スラチャイの横でやたらと姿勢をかえる。
そうでなくとも密着しているので、とても寝ていられる状態ではない。
スラチャイの左肩に頭を埋めて熟睡しているこの女性の首をしめてやろうかと思った。
こちらは一睡もしていないのだぞ!
コンケンからバンコクまでたくさんの駅に停車する。
深夜に列車が駅に到着する毎に大勢の物売りが乗り込んできて商いを行う。
次の停車駅までが勝負なので、深夜にもかかわらず大声が飛び交う。
タイの夜行列車でも三等車の車内はこの雰囲気なのでとても眠ることなどできないのだ。
売り子のなかにはまだ10代の美しいタイ娘がいたりするので、眠りかけていたスラチャイも現金なもの。
すぐに飛び起きて、飲み物や食べ物を買ってしまう。
サラパオ(中華まんじゅう)のお姉さんはまだ子供、多分14~15歳。美人だったな。
すらりと伸びた美しい姿態に圧倒されてしまった。
一瞬の静けさは、これらの売り子が列車を降りてしまって、次の売り子が乗り込むまでのわずかな時間だけなのだ。
明け方の6時半ころホアランポーン駅に到着した。
車内では乗車券のチェックがあるが駅の出口には係員さえいない。
誰でも自由に出たり入ったりできる。
3バーツ支払ってトイレを借りる。
タイでは公共トイレは有料なのだ。
電気カミソリでばりばりとひげを剃ると周囲のタイ人たちが珍しそうな顔をする。
かまわず歯を磨いて、顔を洗う。
爽快な気分が体いっぱいにあふれてくる。
ホアランポーン駅から徒歩10分で楽宮旅社、北京飯店がある。
スワニーさん元気にしているだろうか。
スワニーさんはまもなく80歳になる女性。
日本の貧乏旅行者(バックパッカー)にとって、楽宮旅社、北京飯店は聖地である。
欧米人のバックパッカーがカオサンを目指すのと好対照なのだ。
スワニーさんの料理はそのスピードが信条。いつもさっとおいしい日本料理を食べさせてくれる。
バンコクで遊びほうけてお金がなくなっては、ここで安い日本食を食べさせてもらった。
無性にスワニーさんに会いたくなった。
誘惑を断ち切って、ホアランポーン駅の地下鉄に飛び乗る。
日本大使館のあるルムピニまでわずか三つ目の駅であり、10分くらいで到着する。
早朝7時に日本大使館に到着、人影は全くない。
大使館領事部は8時半に業務開始であるが、8時には中に入れる。
8時にドアーが開くまで、チェンマイからやってきたビザ取得が目的の女性と、とりとめのない会話をする。
彼女は横須賀に行くと言っていた。
9時に在留証明申請を受け付けてもらったら、わずか30分で発行された。
大使の署名付きであるが、最近大使が人事異動で入れ替わっていた。
タイの大使は入れ替わりが激しいような印象を受ける。
これでは地に着いた大使館業務、サービスは難しいのではと思った。
大使は日本を代表する表看板なのだから。
職員はこの10年変わっていないようだ。
タイ語は流ちょうでもプライドが高すぎるような印象を受けた。(受け付けてもらった女性)
9時半に大使館の前からタクシーに飛び乗って、北バスターミナルへ。
いつもは高速道路を利用するが、運転手が今日はすいているので下を走りたいと抜かす。
何のことはない、時間をかけても走行距離を稼ぎたかっただけなのだ。
なつかしいあの道、この道、全部覚えていた。まるで昨日のことのように。
当時、バンコクの端から端までタクシーに乗っても100バーツを超すことはなかった。
北バスターミナルでメーターを見たら、137バーツとなっていたので、140バーツ支払った。
高速道路を利用すれば80バーツくらいなのだが、高速道路料金40バーツは客が支払う。
結局、時間の浪費であったが、バンコク観光をした気分にはひたれた。
10時半のバスに飛び乗って、夕方4時にはコンケンに無事戻ることができた。
コンケンのバスターミナルからローマホテルまで徒歩5分。
ローマホテルに駐車していた車に飛び乗って、団地に戻る。
まだ明るいので、娘たちは元気に外で遊んでいた。
バンコクからコンケンに戻ると空気までちがう。
安堵のため息をついたあとで、家族でローマホテルに出かけソレントレストランで食事をした。
酒を飲むので帰りはいつもタクシー。
わずか100バーツのタクシー代をけちって、事故っても情けない話だから。
私は小さな幸せを感じていた。
2018/03/25
すごかったカイちゃんの20人ごぼう抜き
成績は600人の学年で一番を維持しています。
カイちゃんが小学6年生の時、スマホやパソコンでゲームばかりやっていたので、成績がクラスで40番目に落ちました。
特別につくられたクラスなので、皆、成績はずば抜けています。
カイちゃんは、普通は、30番くらいを行ったり来たりしていました。...
みかねた父親が、カイちゃんを呼んでしかりつけたことがあります。
やがて、カイちゃんが後期の試験の成績を持ってきました。
ちょうど20番です。
あの特別クラスですから、20人ごぼう抜きは、ものすごいことです。
父親はいたく感動させられてしまいました。
娘は胸を張っていました。
いまでも、わたしの記憶に、くっきりと焼きついています。
My eldest daughter Kai-chan is now a junior high school second grader.
Kai-chan is able to keep No.1 rank in 600 students.
When Kai-chan was in the sixth grade of elementary school, she was doing only games on a smart phone or a personal computer, so her rank fell to the 40th in class.
Because the class is a specially made for entering university, everyone has excellent ability.
Kai-chan usually goes back and forth about 30 th. rank.
So father had got in touched with Kai-chan to rectify the situation.
Eventually, Kai-chan had brought the test result of the second term examination.
The rank was just 20th rank in the class.
Because she is in the special class, it is amazing to roll over 20 students.
Father was deeply touched.
My daughter seemed to be dignified.
Even now, I still remember the incidence clearly as if it is burned to my memory.